足の神様・仏様

日本全国の足の神様漫遊記

足長神社・手長神社【長野県諏訪市】

◆足長神社の紹介
  中央本線上諏訪駅で下車し、駅前でタクシーに乗車。「四賀町普門寺の足長神社」と運転手さんに告げると、駅から4~5分で到着。鳥居の後ろには、大きさも形もあまり統一されずに配置された石段の参道が車道へと続いていました。運転手さんに「上の道までタクシーで上がりますか?」と聞かれましたが、歩いても上れそうだったのでお断りして、歩いて階段を上がる事にしました。階段の上の車道を渡ると、更に石段の参道が続き、しばらく階段を上ると、広い境内の左手に舞屋(神楽殿)があります。舞屋には、「足長大明神」と書かれた額が掛っています。広い境内の正面に数段の石段が更に続き、その上に拝殿が鎮座しています。そして、拝殿の後方に拝殿と一体化した本殿が鎮座しています。
  地元の方によると、足長神社から少し離れた茶臼山という所に鎮座されている「手長神社」も合わせてお参りすると良いとのこと、早速、足長神社から手長神社へ!
 
 
◆手長神社の紹介
  手長神社に行くには、上諏訪駅前の大通り(国道20号線)を右に歩いていきます。約200メートル歩き、左手の脇道を曲がると、その先に諏訪郵便局があります。郵便局の左側に大きな鳥居(一の鳥居)があり、その奥の石段の参道途中に二の鳥居があり、更に上っていくと車道に出ます。その車道の先に手長神社境内入口にある三の鳥居と手水舎が見えます。その鳥居の先の参道の一段高くなった所に拝殿と本殿が鎮座しています。拝殿の右手には、立派な回廊があり、左手には、摂社の祠が数社祀られています。
 
 
◆足長神社・手長神社について
  足長神社、手長神社は、地元では、足長様・手長様と親しまれているそうですが、ともに鬱蒼とした木々に囲まれ、厳粛な気持ちになれる素晴らしいところでした。平安時代頃までは、桑原村の鎮守として一緒に祀られたいたようですが、鎌倉時代に入り、上桑原と下桑原に分かれることとなり、足長様を上桑原の従来の地に、手長様を下桑原の鎮守様として祀られるようになったとされています。
 
 
◆御祭神
  足長神社  脚摩乳命(あしなづちのみこと)
  手長神社  手摩乳命(てなづちのみこと)
 
 
◇足の神様、手の神様とは
  脚摩乳命・手摩乳命は、国津神(くにつかみ)の大山祇神(おおやまつみのかみ)を父とする夫婦神と言われています。
  素戔嗚尊(すさのおのみこと)が高天原を追放され、出雲に降り立った時に、老夫婦が泣いているので訳を聞くと、この夫婦には、8人の娘がいるが、ことごとく大蛇にさらわれ、最後に残った奇稲田姫(くしなだひめ)も時間の問題だとの話を聞きました。この夫婦は、娘の手を撫で、足を撫でて大事に養育してきたといいます。この時に素戔嗚尊が出会った老夫婦が脚摩乳命、手摩乳命と言われています。
  大蛇を退治した素戔嗚尊は、奇稲田姫を娶ります。そして、この夫婦の御子として大国主神(おおくにぬしのみこと)が生まれました。(古事記の表記では、6代目の子孫として生まれたとされる)
  古事記の表記によれば、大国主命は、高天原から派遣された建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)から国譲りの話を持ちかけられた際、息子たちに相談したところ、力自慢の建御名方神(たけみなかたのかみ)だけが承服せず抵抗したとあります。建御名方神は、最後まで抵抗し続けましたが、最終的に諏訪まで追い詰められて、諏訪の地に留まることを条件に降伏したと言われています。この建御名方神諏訪大明神、お諏訪様と呼びならわされるようになったとされています。
 
 記・紀の言い伝えとは別に、足長神・手長神は、諏訪大明神の入諏以前から桑原村で信仰のあった産土神であるとする説もあるそうです。
 
 
◆鎮座地
足長神社 長野県諏訪市四賀足長山5386
 
 
 
 
 
  
手長神社 長野県諏訪市茶臼山9556
 
 
 
 
 
  
◇参考資料
  日本の神々の事典  エソテリカ事典シリーズ2  学研
  玄松子の記憶  http://www.genbu.net/
 
元記事投稿日7月12日(火)