足の神様・仏様

日本全国の足の神様漫遊記

足助八幡宮・足助神社【愛知県豊田市】

◆足助八幡宮・足助神社の紹介

 足助は、「あすけ」と読みます。鎮座しているのは、愛知県豊田市の山の中で、愛知県名古屋市と長野県飯田市を結ぶ飯田街道沿いにあります。名古屋市内から行く場合は、御器所駅、伏見駅、丸の内駅から鶴舞線に乗って豊田方面に向かい、梅坪駅で名鉄三河線に乗りかえます。乗り換えは、同じホームですが、乗ってきた電車と逆の方に向かう電車に乗ります。知立(ちりゅう)行きではなく、猿投(さなげ)行きに乗ってください。

 名鉄三河線の猿投駅で下車したら、路線バスに乗り代え、約40分かかりますが、香嵐渓で下車します。(東岡崎駅から路線バスで約70分という行き方もできます)

 香嵐渓のバス停はちょうど豊田市足助支所の前になりますが、その隣に鎮座しているのが、足助八幡宮と足助神社です。

 

◆足助八幡宮の由緒

 創建は、天武天皇白鳳2年(673)といわれています。古くから足、旅、交通の守護神として信仰されています。『足助八幡宮縁起』には、足を傷めた旅人の手当てを社人がしていると、八幡大神が出現し、数珠に烏の羽を添えて患部をなでると、たちまち足が快癒し、歩くことが出来るようになったと書かれています。毎年3月の第3日曜日には、足の健康を祈願する「除災足まつり神事」が催行されます。境内の社務所では、足のお守りも授与されています。また、境内には、樹齢500年以上はあると思われる「足助八幡宮のスギ」があり、豊田市の指定天然記念物に指定されています。

 

◆足助神社の由来

 足助八幡宮に隣接して鎮座しているのが足助神社です。創建は、明治35年(1902)と比較的新しい神社です。鎌倉時代末期に後醍醐天皇鎌倉幕府倒幕の旗揚げをした際、笠置山に最初に馳せ参じ、籠城軍の総大将を務めた足助次郎重範(あすけじろうしげのり)が祀られています。足助重範は弓の名手として知られ、鎌倉幕府軍と強弓を以って応戦しましたが、笠置山陥落後に捕縛されて、京都六条河原で処刑されました。足助重範が賊軍の将(南朝側)という評価を受けた為、皇室とも縁があった足助氏一族は凋落していきました。明治24年(1891)明治天皇から、正四位を贈られて名誉を回復し、明治26年(1893)には、熱田神宮の摂社の一つを譲り受け、明治35年(1902)に東加茂郡の郡社として足助神社が創建されました。昭和初期には、昭和天皇から、従三位も追贈されて新たな社殿の造営も行われようとしていましたが、敗戦に伴い中断されて、現在の位置である足助八幡宮の隣に遷座しました。

 

遷座

 愛知県豊田市足助町宮ノ後12番地

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足助八幡宮の鳥居

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足助八幡宮の境内

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境内の大草鞋

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足助八幡宮のスギ

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境内にある御足宮

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八幡宮に隣接する足助神社

◆周辺に見どころ

 足助八幡宮、足助神社の周辺は、紅葉の名所「香嵐渓」で、紅葉の季節(11月中旬~下旬)になると日本全国はもちろん、海外からも観光客が足を運びます。足助八幡宮の向かいには観光バスの駐車場やお土産屋さんもあります。コーヒーが飲めるお土産屋さんがあったので立ち寄ったところ、拓殖大学の学生さんがつくったと思われる、東日本大震災の折、台湾の寄付に感謝するPOP表示が飾られていました。

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