足の神様・仏様

日本全国の足の神様漫遊記

与太郎神社【岡山県玉野市】

与太郎神社の紹介
与太郎神社は、岡山駅から宇野線に乗り、12個目の駅の八浜(はちはま)駅で下車します。事前にネットで調べた岡山の観光案内の地図が間違っていたため、どうしてもたどり着けず、地元の方に道を聞くとネットで調べた場所とは、線路を挟んで全く正反対のところでした。正しい場所は、岡山から行った場合は、八浜駅を降りたら、駅構内の陸橋を渡り、反対側のホームから駅を出ます。線路と平行に走る川沿いを大崎八幡宮方面へ向かいます。大崎八幡宮を通り過ぎ、更に川沿いを歩いていくと玉野光南高校があります。与太郎神社は、高校校舎の川を挟んだ向かい側に鎮座しています。ネット情報が間違っていたお陰で何度も道を尋ねましたが、地元の方々が「与太郎さん」、とか「与太郎様」と呼んで親しんでいることが分かりました。
 
◆足の神様とは
与太郎神社の拝殿前の道の先は曲がり角になっていますが、このあたりを昔は、「馬返し」といったそうです。馬でここまで来ても、ここからは先は馬では行けないという場所だったのかもしれません。天正10年(1582)毛利氏と宇喜多氏が戦った八浜の合戦で父の宇喜田忠家とともに参戦した宇喜田与太郎基家は、負傷を負った上に持病の脚気が悪化し、八浜に落ち延び竹薮の中で身を潜めていました。追って来た毛利勢は、周辺農民に尋問しましたが、農民たちの態度や素振りから宇喜田基家の潜んでいる場所を突き止め捕らえました。基家は、宇喜多氏の菩提寺である大賀島寺に葬られましたが、八浜の農民たちは、お詫びと供養のためにお堂を建てました。宇喜田基家が脚に傷を負っていたことから、足腰の治病のためにお堂お参りに来る人々もありました。
 
◆鎮座地
 
 
 
 
 
 
 
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 ◆参考資料
与太郎神社
 
有限会社東海建設