足の神様・仏様

日本全国の足の神様漫遊記

六十六部大権現【徳島県徳島市】

◆六十六部権現の行き方
  JR徳島駅から徳島線に乗り、三つ目の駅「鮎喰(あくい)」で下車します。駅の階段を下りたら、一旦ガードをくぐり、駅ホームと反対側に行き右側の7つ目の筋を曲がると、加茂名小学校や徳島庄町郵便局のある旧伊予街道になります。その通りを鮎喰川の方向に向かってひたすらまっすぐ歩いていくと、突き当たりの河川際にあります。鮎喰駅から徒歩でおよそ10分です。
 

◆六十六部権現とは(石碑の「申し伝え」より)
 今からおよそ二百数十年前、伊豫の国宇和島の六十六部喜衛門は両親に死に別れ守り本尊を背におい諸国修行、遠くは信州御岳山に修行なされ神仏よりさずかった秘宝の灸 これは今に伝えるお灸をさずかり伊豫の国宇和島に帰る途中、阿波の国名東郡加茂名村鮎喰(現在市内鮎喰町)神田家にワラジをぬぎ中風、カッケ、その他の病気にナンギしている人々にお灸をすえてなおしたのを誰となく聞き伝えてきた。元文五年七月二十四日病気のため死亡した 生前の徳をしたう者達が鮎喰川の東岸に石碑を建てて冥福を祈った。
 その後中風、カッケ、その他の病気に苦しむ人が話を聞いて六十六部喜衛門の墓にもうで祈願した。ところがうす紙をはぐように快方に向い間もなく全快したため、喜んで遺言にその事を書き六十六部喜衛門が生前諸国を修行した健脚にあやかる為、特大のワラジを作って奉納した。これが評判となり墓に訪れる者達が引っ切らず大小さまざまのワラジが次から次えと供えられ「六十六部さんの墓えお参りしたらカッケは必ずなおる」とますます有名になった。
 伝えを聞いた病人は近くは淡路、兵庫 遠い所では北海道あたりから杖にすがってきた者も帰りにはワラジ、杖まで置いていくほどだった。それが約二百年にわたり続けられて、つい最近までおよんだ。六十六部の墓は徳島市バス上鮎喰終点から北へ約五十メートル旧道つき当りの堤防きわにある。
 元は、ずっと南にあったのを鮎喰川改修工事のためにここへ移されたもので、明治から大正へかけて空をこがすかと見られた線香の煙も今は、すっかり絶えていたが戦後、信者により復活し毎年春秋護摩供養をおこなっています。

    春   三月二十四日   秋   九月二十六日
                          六十六部大権現
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
◆六十六部大権現の信仰について
 
 
 
  鎌倉時代の末頃から、法華経を書写して全国六十六か国の霊場に一部づつ納経して満願結縁する巡礼をする行者たちを六十六部行者、又は六部行者といいました。行者が納経した場所には、六十六部回国供養塔と呼ばれ、全国各地に点在しています。六十六部行者の淵源は、北条時政の前世が、法華経を持して諸国を遍歴した箱根法師であり、その功徳により再び生を受けた・・・という説や鎌倉幕府成立期の有力者、北条時政源頼朝梶原景時などの前世が六十六部廻国聖であるという説があります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
◆住所 徳島県徳島市鮎喰2丁目120
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◆参考
ぐーたら気延日記(重箱の隅)

かさおか遊歩(六十六部信仰とは)

真成の在家信仰(六十六部回国行者)