川越八幡宮・民部稲荷【埼玉県川越市】
◆川越八幡宮への行き方と境内のご案内
JR東日本、東武東上線、東京メトロ有楽町線の川越駅東口を出て、駅前の道をまっすぐ行くと、八幡通りという大通りに出ます。そこを左折してしばらく歩くと通りの向かい側に川越八幡宮があります。駅から徒歩で約7分くらいです。
◆ 参考WEB
JR東日本、東武東上線、東京メトロ有楽町線の川越駅東口を出て、駅前の道をまっすぐ行くと、八幡通りという大通りに出ます。そこを左折してしばらく歩くと通りの向かい側に川越八幡宮があります。駅から徒歩で約7分くらいです。
○ 縁結びイチョウ
平成明仁天皇がお生まれになった昭和8年に神職によって男イチョウと女イチョウの2本のイチョウを植樹しました。いつしかその日本のイチョウは寄り添い一本に結ばれました。固く結ばれた結ばれた2本の御神木に触れ、手を合わせると良縁に恵まれるといいます。
○ 目の神様
兄弟で国つくりをされた大国主命と少彦名命は、医療の充実も図られたことで知られています。眼の形をしたご神像があり、その傍らには、御神木(目薬の木)が植えられています。目薬の木は、日本だけに自生していて、江戸時代から樹皮を煎じて、点眼薬や洗眼薬として使われてきました。
○ ぐち聞きさま
聖徳太子は一度に10人の訴えを聞き分けたと言われますが、境内にはぐちを聞いてくれる聖徳太子像が祀られています。ぐち聞きさまの説明には、「人に言えないこと、心の中のモヤモヤなど何でもお話ください。きっとすっきりするでしょう」とあります。
◆ 川越八幡宮にご由緒とご神徳
第68代・後一条天皇の時代、長元3年(1030)に甲斐守 源頼信によって創祀されたと言われています。長元元年(1028)に下総の国の城主をしていた平忠常が安房、上総、下総を従わせ謀反を起し、武蔵国に攻め入ろうとしました。この長元の乱は、3年経っても治まらず、有力武士であった甲斐守 源頼信に平忠常追討の命が下りました。
◆ 足腰の神様・民部稲荷神社
民部稲荷神社のご由緒は、TBSアニメの「まんが日本昔ばなし」で紹介されたことがあります。
八王子の近くの丘の上に年をとった狐が侍に化け「民部」と名乗り住んでおった~。民部は話し相手が欲しかったのか、毎晩、近所のお寺の小僧さんを自宅に呼ぶようになったそうじゃ。毎晩夜遅くに出かける小僧さんを不審に思った和尚さんは、小僧さんに夜遅く出かける理由を尋ねたそうな。小僧さんが事情を話すと、和尚さんは、なにか物の怪に化されているに違いないと思い、小僧さんにそのお侍さんにお礼をしたいので、お寺に呼んでくるようにいいつけよった。
お寺に招かれた民部は、和尚さんや小僧さんと四方山話に花を咲かせ、いつしか話題が相撲の話になったんじゃ。そして、小僧さんと民部は、相撲を取って楽しんで夜を過ごしたそうな。
翌日、小僧さんが夕べ相撲を取ったあたりを掃除に行くと、狐の毛がたくさん落ちておった。和尚さんは、民部は、狐が化けていると気づいたのじゃが、何も悪さをしたわけではないので、とりあえず夕べのお礼でもしておこうと民部に会いに行ったんじゃ。
すると、民部は、悲しそうにこう言ったそうな。
「夕べはありがとうございました。せっかくお知り合いになれて寂しいのですが、川越の梵心山に移ることになりました。あなた方のことは決して忘れません。お礼に私たちに古くから伝わる打ち身の手当の技を教えましょう」
そして、技を伝えた狐は去って行ったそうな。
川越の梵心山には、何時の頃からか民部稲荷がありましたが、荒廃してしまい、後に川越八幡宮の境内に移されました。相撲の絵馬を収めると打ち身や捻挫の回復に霊験があらたかと言われています。また、民間の信仰を集めた民部稲荷は、後に梵心町に再建されましたが、現在は、地元の丸広百貨店の屋上に百貨店の守護神として鎮座しています。
川越の梵心山には、何時の頃からか民部稲荷がありましたが、荒廃してしまい、後に川越八幡宮の境内に移されました。相撲の絵馬を収めると打ち身や捻挫の回復に霊験があらたかと言われています。また、民間の信仰を集めた民部稲荷は、後に梵心町に再建されましたが、現在は、地元の丸広百貨店の屋上に百貨店の守護神として鎮座しています。