和気神社(足立寺史跡)【京都府八幡市】
◆和気神社(足立寺史跡)の紹介
約千二百年の歴史を有する石清水八幡宮の鎮座する男山の西南に西山廃寺(足立寺[そくりゅうじ]史跡)があります。元の位置は、この場所から西南50mのところにあったそうですが、現在の位置に史跡公園として移されました。足立寺は、和気清麻呂公が建立したとされていますが、出土品から寺が建立されたのは、和気清麻呂公の時代の100年ほど前の白鳳時代とされています。その為、この足立寺が和気清麻呂公の建立であるか疑問視する説もあるそうですが、もともと地元の豪族が建立した寺を和気清麻呂公が再構築したのではないかという説が有力のようです。和気神社は、その足立寺を護持する神社としてこの地に鎮座することになったとされています。
◆足の神様とは
奈良時代の女帝・孝謙天皇(後の称徳天皇)の治病で信頼を得た僧侶・道鏡は、天皇から太政大臣・禅師という称号を与えられ、重用されるようになりました。ある時、大宰府の主神から、豊前国(大分県)の宇佐八幡宮より道鏡に皇位を譲るようご神託があったと伝えられたことから、道鏡も皇位に就く意思を固めるようになりました。称徳天皇は、その真偽を確かめるため、臣下の和気清麻呂を勅使として、参向させたところ、そのご神託は、虚偽であることを天皇に報告しました。道鏡の怒りを買った和気清麻呂公は、左遷され、足を切られてしまいました。ところが、左遷先に向かう途上で、何百頭という猪が現れて、宇佐八幡宮へと導かれ参拝したところ、足が生えて来たという伝説が残っています。称徳天皇が崩御された後、復権した和気清麻呂公が、報恩の為に足立寺を建立したと伝えられています。
◆和気神社の御祭神
◆謎?
足立寺史跡については、色々と調べてみましたが、分からないことだらけです。今後も情報を収集し、分かった事から加筆して行きます。
・足立寺が本当に和気清麻呂公の建立なのか?
◆ 周辺の見どころ
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)
交野天神社(かたのあまつかみのやしろ)
松花堂庭園(しょうかどうていえん)
◆鎮座地
◇参考資料
『京阪奈ぶらり歴史散歩』
『八幡市西山和気 足立寺史跡公園・史跡西山廃寺(足立寺)跡』