足の神様・仏様

日本全国の足の神様漫遊記

筥崎宮【福岡県福岡市】

筥崎宮の東末社・池島殿の紹介
 
福岡市営地下鉄筥崎宮前駅で下車すると、すぐに筥崎宮の参道にでます。境内正面には、文禄3年(1594)筑前領主の小早川隆景が建立し、国指定重要文化財にも指定されている楼門があります。楼門は、「敵国降伏」の扁額を掲げていることから伏敵門とも呼ばれています。楼門の左手後方に東末社、右手後方には、西末社があります。足の神様として信仰を集めている池島殿は、東末社に祀られています。
 
◆足の神様とは
 
 須佐之男命が高天原を訪ねていった時、天照大神須佐之男命が自分の国を奪いに来たと思い、武装して迎えました。須佐之男命はこれを恐れ、武装を解いてくれるように頼みましたが、天照大神は信じませんでした。須佐之男は誓約(うけひ)を行うことを申し出、「生まれるのが男神であれば私に異心がないからだと信じてください」と誓約しました。
うけひの結果、天照大神須佐之男命の剣から三柱の女神を生み、須佐之男命は天照大神の曲玉から五柱の男神を生みました。こうして天照大神須佐之男命は和解しました。三女神は須佐之男命の剣から生まれたので須佐之男命の子とし、五男神天照大神の曲玉から生まれたので天照大神の子としました。
須佐之男命の子となった三女神が、田心姫神湍津姫神、 市杵島姫神であり、三柱を合わせて宗像三女神と称しています。
池島殿には、古くから手足の守り神として信仰を集め、「わらじ信仰」があります。わらじをお供えして、病気平癒を祈り、治癒すると再びわらじをお供えしてお礼参りをするという風習があります。手足の守り神としてなぜ祀られるようになったのかは、不明ですが、宗像三女神は、旅の安全を祈願する道の神様として崇めらることが多いので、そこから手足の神様として祀られるようになったのではないかと思われます。
 
 
◇池島殿の御祭神
池島殿(いけしまでん)
   宗像三女神(むなかたさんにょしん)
   田心姫神 (たごりひめのみこと)
   湍津姫神 (たぎつひめのみこと)
   市杵島姫神(いちきしまひめのみこと)
荒神社(あらじんじゃ)
   軻遇土命(かぐつちのみこと)
   奥津彦命(おくつひこのみこと)
   奥津姫命(おくついめのみこと)
酒造神社
  少彦名命(すくなひこなのみこと)
  大山咋神(おやまくいのかみ)
  倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
 
 
◇ 祭礼
池島殿祭     6月の第4日曜日
 
 
◇ 筥崎宮の由緒と祭礼
 
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后玉依姫命をお祀りしています。創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。
鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。後世は足利尊氏大内義隆小早川隆景豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り、同18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれています。
 
 
◆鎮座地
福岡県福岡市東区箱崎1-22-1 
 

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筥崎宮正面の楼門


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筥崎宮末社

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末社池島殿

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池島殿のわらじ信仰
◇参考資料
筥崎宮箱崎)の公式WEBより
 
 
 
旧記事投稿日 平成22年10月5日(火)