足の神様・仏様

日本全国の足の神様漫遊記

足立山妙見宮【福岡県北九州市】

◆足立山妙見宮の紹介

新幹線で小倉駅を降りてバスに乗り、バス停「黒原1丁目」で下車。「黒原」交差点を足立山のほうに向かって歩き、右側の最初の曲がり角(マンションの手前)を曲がって、しばらく歩くと、「黒原階段」(通称:裏参道)がありますので、その階段を約7~8分かけて登りきったところが、足立山妙見宮(御祖神社)です。
鳥居をくぐり、参道の階段を登り切ると左手に、足立山山頂にある妙見上宮へ向かう登山口があります。登山口の方向に向かって少し歩いたところに、猪に乗った和気清麻呂公の像が安置されています。妙見宮の拝殿を参拝した後、山頂の妙見山上宮まで歩こうとすると、「徒歩80分」という表示が目に飛び込んできました。往復の時間を考えると、制限時間ギリギリ!ここまで来て妙見上宮を参拝しないのは、『徒然草』の「仁和寺にある法師」同然!意を決して歩き出したものの、15分ほど歩いて、道を間違ったことに気づき、あえなく断念。もと来た道を引き返しました。次回、小倉を訪れた時には、再チャレンジするという目標ができました。
 
◆足の神様とは
 
和気清麻呂公が神様として崇められるのは、 足の怪我、左遷という逆境にもめげず、国家の安泰を願って信念を貫き、平安京の造営にも大きく貢献したからではないかと思います。和気清麻呂公のような政治家が現代に求められているのではないかと思います。
 
 
神仏習合の神社
770年、和気清麻呂公の四男、磐梨妙運が足立山に妙見宮を創建し、772年には、国司、大伴百世の助けを借りて、葛原峰が坂の足立に下宮、足立山平癒寺を建立しました。1601年、細川忠興が眼病平癒を祈願し、成就したことから、下宮・平癒寺を現在の地に移し、鎮祭しました。明治時代になって、足立山平癒寺は、御祖(みおや)神社と改称しましたが、1945年に足立山妙見宮を再称し、全国妙見総本宮として、現在に至っています。
 
 
 
◇ 祭礼
和気公祭               2月21日
春季例大祭             4月15日
夏越祭(茅の輪くぐり神事)     7月31日~8月1日
 
 
◇ 由緒
 
称徳天皇神護景雲3年(769) 、和気清麻呂公は、勅命を受け、皇位を奪おうとした僧侶、弓削道鏡の野望を打ち砕こうとしましたが、権力を掌握していた道鏡の怒りを買い、逆に大隅国(現在の九州地区)に左遷されました。道中では、道鏡の放った刺客に足の筋を切られ、大分の宇佐に逃れました。その際、数百頭の猪が現れ、清麻呂公を背に乗せて助けたと言われています。宇佐神宮で神のお告げを受けた清麻呂公は、豊前国竹和山麓の湯川にある霊泉につかりました。すると、不思議にも数日で足の傷は癒えました。それ以来、この山を足立山というようになったと言われています。
立山に登った清麻呂公は、十数日に及ぶ断食を行い、造化神北辰尊星妙見に天皇家の安泰をお祈りしました。妙見様のお告げどおり、翌年には、光仁天皇が即位し、天皇家は、安泰となりました。野望を打ち砕かれた道鏡は、下野国へ流されて、清麻呂公は、平城京に呼び戻されました。その後、公の四男である磐梨妙運を当地に送り、足立山妙見宮を創建しました。
 
 
 

◆ 周辺の見どころ

立山遊歩道
 
立山麓文化村
立山麓ギャラリー
  
 
 
◆鎮座地

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妙見山

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妙見宮参道

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妙見宮拝殿

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和気清麻呂公像


 
 
 
 
  
◇参考資料
立山妙見宮の公式WEBより
 
元記事投稿日 平成22年10月1日(金)