足の神様・仏様

日本全国の足の神様漫遊記

服部天神宮【大阪府豊中市】

◆服部天神宮の紹介

大阪の梅田と宝塚を結ぶ阪急電車宝塚線の阪急服部駅で下車し、駅の東側にある服部元町商店街の中に入っていくと鳥居があります。鳥居をくぐると本殿に至るまでの参道の右手には、神社の由来が絵物語で紹介されています。表参道は、国道176号線沿いにあり、参道入口には、「服部天神宮」、「足の神様」と書かれた朱塗りの門があります。鳥居をくぐって、正面が拝殿、左手には末社豊中えびす神社があります。鳥居の右手には、天神丸の碑、祖霊社、末社の初酉稲荷社、菅公像、わらじ堂などが配置されています。
8月25日は、毎年、夏天神祭の本祭があり、今回も、足の守護祈願大祭が実施されていました。祭典は、用意されていた椅子が足りなくなるほどの賑わいぶりでした。祭典終了後は、宮司より特大金幣のお授けがあったり、神職が人形(ひとがた)を使って参列者のおみ足をさすって健脚を祈願する行事が行われました。
 
 
◇足の神様とは
平安時代、右大臣・菅原道真公は、ざん訴に遭い、大宰府に左遷されることとなりました。京都から遥か筑紫の国に向う途次、この地で持病の脚気に悩まされ、一歩も歩くことが出来なくなりました。菅公は、村人に勧められ、医薬の祖神「少彦名命」を祀る小祠に詣で、平癒を祈願されたそうです。また、小祠の傍にある五輪塔奈良時代の政治家で菅公と同じ境遇で左遷の浮き身に遭った藤原魚名公の墳墓であることを知らされ、供養を捧げられました。すると、不思議に足の痛みやむくみが解消し、無事大宰府に向けて旅立たれたと言います。
 
 
 
少彦名命(すくなひこなのみこと)
 
 
◇祭礼
5月3日     初酉稲荷祭
6月30日    水無月大祓式
8月24、25日 夏天神祭(24日宵宮祭)
     (25日本祭・足の守護祈願大祭)
10月25日   例大祭(秋祭)
11月15日   七五三まいり(11月中毎日受付)
12月31日   晦大祓式
12月31日   除夜祭
 
 
◇由緒(境内に設置の絵物語より)

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  昔、朝鮮を経由して、吾が国へ渡ってきた秦の人々は、機織の技術を吾が国に伝えましたので、秦氏という姓氏を与えられ、機織部として各地に住みつきました。
  当地、「服部」の地名も、このあたりに秦氏の人々が住んでいたことから成りたったものと思われます。
  秦氏は、医薬の祖神・少彦名命を尊崇していましたので、この地にも小祠を建てて、少彦名命をおまつりしていました。
 

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   秦氏の人々がこの地に移り住んで数百年が過ぎ、時は延喜元年(西暦901年)の春、右大臣・菅原道真公は、無実の罪をきせられて、九州大宰府へ左遷される途中、このあたりまでこられて持病の脚気に悩まされ、足がむくんで一歩も歩くことが出来なくなりました。
   その時、村人たちは、少彦名命をおまつりしてある天神祠に詣でて、足病の平癒を祈願されるようにおすすめしました。
 

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少彦名命は、神代の昔、大国主神と協力して国土を治められ、さらに遠く海外の地をも巡られて、この世の生きものたちのために医薬の方法を定められ、また、生きものにとりついて苦しめる邪霊を祓う方法も定められましたので、この時より今の世に至るまで、生きとし生けるもので、この二柱の大神のご恩をこうむっていないものはおりません。このように尊い少彦名大神にお祈り申し上げますならば、必ずやおみ足の具合も良くなられると思います。」
  このように申し上げる村人の言葉にうながされた菅公は、少彦名命をまつる天神祠へと向かわれました。
 

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  菅公が天神祠へお参りされますと、境内近くの路ばたにある五輪塔が目にとまりました。
  そして、その五輪塔がこの時より百年程の昔に、大宰府へ左遷される途中、病に臥され、遂にこの地にてなくなられた川辺左大臣藤原魚名公の墓であることをお知りになった菅公は、「昨日は他人の身、今日は吾が身にふりかかる定めか」と嘆ぜられ、天神祠にご自身の足病平癒を祈願されると共に、魚名公の霊をもねんごろにとむらわれました。

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 ると、不思議にも間もなく菅公の足のむくみや痛みは治りました。こうして少彦名命と魚名公の霊の加護によって足の病がいえた菅公は、ふたたび九州へと旅立たれ、無事に大宰府へ到着されました。

 

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  菅公が大宰府においてなくなられたあと、菅公を神として尊崇する天神信仰が全国にひろがりました。
  当社も菅公の霊を合祀し、「服部天神宮」として社殿を造営し、「菅公脚気平癒の霊験」を伝え聞いた全国よりの参詣人とまた当地が能勢街道の要所であったこととで、次第に門前市をなすようになり、ことに江戸時代の中期から末期にかけては、その最盛期であり、境内外は、非常な賑わいをみせたのでした。
 
 
◇天神丸の碑について
  江戸時代、服部天神宮は、脚気を患った人々が全国から参詣するようになりましたが、これを目当てに森田神納堂(天神丸本舗)が境内に店を出し、天神丸という妙薬を販売し、大層はやったと伝えられています。しかし、次第に主人が驕り高ぶるようになり、「脚気が治るのは、うちの天神丸があるからだ」と、天神宮のご神徳を軽んずる発言をし、宣伝するようになりました。神社側は、主人の傲慢な態度を見かねて、天神丸本舗を境外に放逐しました。天神宮から300m余り離れた所に移転した天神丸本舗は、その後、さっぱり流行らなくなり、店を閉じることとなりました。その後、天神丸本舗跡にあった碑を宮司が境内に移築したのが天神丸の碑の由来です。

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服部天神宮_天神丸の碑
◆ 周辺の見どころ
  服部住吉神社
  服部緑地公園(徒歩1.2km)
  (最寄り駅は、北大阪急行の緑地公園駅)
 
 
 
◆鎮座地
大阪府豊中市服部元町1-2-17
 
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商店街から服部天神宮へ

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服部天神宮_正面

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服部天神宮_境内

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服部天神宮_奉納

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服部天神宮_拝殿

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服部天神宮_鳥居

◇参考資料  服部天神宮の公式WEB
 
 
元記事投稿日 平成22年8月26日(木)