足の神様・仏様

日本全国の足の神様漫遊記

手足荒神【大分県別府市】

◆手足荒神(てあしこうじん)のご紹介
大分県別府市の南立石一区の観海寺温泉の近くにあります。亀井タクシー事務所の横の脇道に入っていき、第一山口コーポの裏手に鎮座しています。場所を確認するのに、宿泊したホテルのフロントで聞いてもわからず、わざわざ調べてもらいました。駅前のホテルからタクシーで10分足らずで行けました。タクシーの運転手の方も場所を知らなかったので、ホテルで調べてもらった地図を見せてたどり着くことが出来ました。(亀の井ホテルさんありがとうございました)地元の人もあまり知らない社でしたが、手足の病の平癒祈願に来る人があるのでしょうか、社の手前にあるお地蔵さんには、花が生けられていました。
  

◆足の神様とは
  慶長5年(1600)、豊後国速水郡石垣原(現:大分県別府市)で黒田如水軍(徳川方)と大友義統軍(豊臣方)の間で合戦がありました。合戦の前夜、黒田方の偵察役の侍が崖を降りる時に足を踏み外して手足を骨折し、大友方の不寝番の侍に捕らえられてしまいました。捕らえられた武士は、「自分の首をとって手柄にせよ、自分は死して百代の世まで手足を挫いたものを護るであろう」と言い残して斬首されました。それを聞いた大友方の武将、吉弘統幸は、これを憐れみ、河原端に手厚く埋葬したといいます。その後、手足を負傷した武士たちがここを参詣すると不思議と治癒することが続きました。手足の負傷が癒えた武将の一人が感謝を込めて、現在の位置に立てた祠が、手足荒神として受け継がれていくようになりました。
  

◆手足荒神について
  足手荒神、又は手足荒神は、九州一体と四国、秋田県北部に点在していますが、いずれも、戦国時代から江戸時代初期にかけて手足を負傷した武将が、手足を負傷した人を守護すると言い残して落命したという伝説が残っています。秋田県北になぜあるのかがいまだに謎です。詳しい方がいらっしゃいましたら、ご教授願いたいと思います。
 

◆鎮座地
  大分県別府市南立石一区
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