足の神様・仏様

日本全国の足の神様漫遊記

子ノ権現天龍寺 【埼玉県飯能市】

◆子ノ権現天龍寺の行き方
  足腰に不安がある方は、お車での参拝をお勧めします。西武池袋線飯能駅、または、西武秩父線東飯能駅から、タクシーで約40分です。足腰が丈夫な方は、西武秩父線吾野駅西吾野駅から、ハイキング道を徒歩で約90分です。
  今回は、東飯能駅前でレンタカーを借りて行きました。飯能市街からどんどん山に入って行くと、林業を営んでおられると思われる材木屋さんが何件か有りました。目的地に近づくにつれ、坂の勾配がきつくなり、軽自動車もフル稼働状態で頑張ってくれました。目的地にたどり着くと、千年以上も昔に、子ノ権現様は、よくもこんなところを開山されたものだと感慨ひとしおでした。
 
◆子ノ権現様とは
  天台宗 大鱗山雲洞院・子ノ権現天龍寺は、延喜十一年(911) 6月13日、子ノ聖がこの地に十一面観音をお祀りし、天龍寺を創建されたことに始まります。その後、弟子の恵聖上人が子ノ聖を大権現と崇め、子ノ聖大権現社を建立されました。
  子ノ聖は、天長九年(832)、子の年、子の月、子の日、子の刻に紀伊の国(和歌山県)で生まれました。幼いころより聡明で、仏教に通じ、僧となって諸国をまわり修業を積まれました。特に出羽三山で修業を積まれ、月山の頂上で読経し、「願わくば、われ、永く跡を垂るべき地を示し給え」と唱え、般若心経を空高く授けたところ、そのお経は、この山に飛び光を放ちました。
  この光を目当てに山の麓まで来られ、山を開こうとされましたが、悪魔の妨害を受け、火を放たれました。しかし、十一面観音が龍の姿となり、大雨を降らせてその火を消しました。その後、この地で修業教化に励まれた聖は、長和元年(1012)、「我、すでに化縁つきぬれば、寂光土に帰る。然れども、この山に跡を垂れて、永く衆生を守らん。我、魔火のために腰より下に傷を負い悩めるところあり、よって腰より下に病める者、誠の心で我を念ずれば、必ず霊験を授けん。能徐一切苦」という御誓願を残し、齢百八十一歳で化寂されました。
 
◆境内のご案内
  駐車場から本堂に向っていくと、埼玉県指定天然記念物となっている大きな二本杉が迎えてくれます。朱塗りの鳥居をくぐり、しばらく歩くと黒門といわれる山門があり、その先には、参道の左右に構えた一対の仁王像が歓迎してくださいます。正面には、本坊があり、そこでは、足腰のお守りや装飾品、手ぬぐいなどが頒布されていました。本坊の右手には本堂があり、本堂前には、重さが2tはあるといわれる日本一の鉄わらじが安置されています。大わらじの横には、信者の方が奉納された大きな夫婦下駄もありました。また、本堂に向って左手には、ドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイスの足形が展示されていました。
  本堂の右手の階段を上って行くと見晴らし台があり、絶景が望めます。見晴らし台の標高は、東京スカイツリーと同じ高さになるとのことでした。
 
◆住所
埼玉県飯能市大字南461
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◆参考WEB
子ノ権現 天龍寺 公式WEB
 
 
◆周辺の見どころ
  竹寺
  鳥居観音